Shin Nakamura | 暖簾(のれん)ディレクター・プロデューサー  暖簾を通じて日本各地の手工業や工芸の新たな関係性づくりに挑戦している。 | 製作
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無形財産としてののれん-のれん分けの発祥(江戸時代)

商家が永年商売を続け、築き上げた信用や知名度を営業上の市場の占有率などの無形財産を、屋号を印した暖簾に例えてのれん権といいます。 商家では永年忠実に勤続した従業員を選び、のれん権の一部を分け与えて独立させることをのれん分けといいます。のれん分けされた店舗は別家と言い、江戸時代にのれん分けの制度が生まれたが、その当時は主家を絶対とした封建性が徹底されていました。 江戸時代にのれん分けが生まれた背景は、当時の職業は家業が代々継承されて行き、その子々孫々の世襲を守るためと、株仲間という幕府公認の同業組合の仲間内で営業を独占することを守るためであると考えられています。しかし、中には株仲間の権利を買い取って新規に商売を始めるものもいました。のれん分けを許されたものには、その商家の家紋とその物の名前が入った暖簾が与えられ、また本家から資本を得て独立して経営者となり新たな商売を始めるものは同業の商売、本家と同じ業者・得意先との取引が禁じられ厳しい制約がありました。また、その契約は子孫の代まで続くものであり、これは大商店になればなるほど厳しくなり、中小はもう少し情味があったといいます。...

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暖簾の仕立てについて

暖簾の棒を通す仕立てには定式があります。 乳(チチ):暖簾をかけるには上端部に棒を通すための輪状の布を取り付けます。それを乳(ち・ちち)と呼ばれ、関東に多く見られます。和の印象が強くなります。 袋(フクロ):棒を通しを一連で縫い付けて袋状の仕立てで、京阪で用いられていたと言われています。現代ではモダンな印象があります。 露(ツユ):露とは暖簾の垂れの空き止まりに三角形の染革、色布を縫い付けたもで爪結とも書きます。これは遊女の暖簾などに用いられており、紅絹の露は新人女郎の目印でもありました。 ...

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【暖簾製作実績】ANAコンチネンタルホテル・雲海

ANAコンチネンタルホテル内にある和食屋・雲海さんの暖簾を製作しました。 間口が暗くわかりづらい為、とにかく大きなインパクトが欲しいというご課題を頂き、導線であるエレベーターやエスカレータを登った先で紋が視覚に飛び込んでくるような暖簾を製作しました。雲海さんは永く続く格式があるお店であり、エントランスをくぐると非日常で立派な庭園が広がります。暖簾はそのアプローチの内と外を分ける境界としても役に立って頂けると嬉しいです。 ...

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暖簾(のれん)の種類-日除け暖簾

日除け暖簾は1枚の布の上下に竿を通して軒先から道路へ斜めに掛けます。 1枚布のため風の逃げ道がなく、風に煽られるとバタバタと太鼓をうつような音がすることから太鼓暖簾とも呼ばれました。広い面積から広告の謳い文句が染め抜かれることも多く、三井の「現金掛け値なし」は日除け暖簾に染められていました。また、江戸時代に京阪に日除け暖簾はなく、これは京阪の道が狭いため普及せずに、道の広い東海道の宿場町や江戸で使用されていたからであると考えられています。水引のれんと組みああせて間口を覆う使い方も多く見られました。 ...

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暖簾(のれん)の種類-花嫁暖簾

花嫁暖簾は石川県で現在も続く風習です。 読んで字のごとく、花嫁が婚礼のときに用いる嫁入り道具の暖簾で風習自体と合わせて花嫁暖簾と言います。暖簾自体は華やかでめでたい着物の様な色彩が特徴で、地域の伝統工芸である加賀友禅で染められることが多いです。掛ける日は婚礼の当日で、花嫁の仏間に掛けて暖簾をくぐってご先祖さまに挨拶をし、結婚式に向かいます。式の後、1週間暖簾は掛けられその後は大切に保管され、代々の嫁入り道具として受け継がれていきます。婚礼という儀式を経て婚家へ嫁ぐ内と外を暖簾で形容した文化です。...

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暖簾(のれん)の種類-半暖簾・長暖簾

通常の暖簾の定尺は鯨尺の3尺で1メートル13センチです。 この長さを基準に長さによって名称がつけられています。幅は間口に合わせているが、2幅の他は七五三の縁起に合わせて奇数が多いです。半暖簾は定尺の半分の寸法で1尺5寸で56.7センチほどの暖簾を言い、店内を様子や商品を見せたい店が用いました。珠暖簾などもこの寸法が多く見られます。長暖簾の定尺は4尺2寸(1メートル60センチ)を定式としており、髪結いや医者など外からの目を隠したい店が用いていました。また、呉服店では呉服の日焼け防止と客がゆっくり品を見られるようにとの配慮から長暖簾を使用していました。 ...

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暖簾(のれん)の種類-水引暖簾

水引暖簾:商家が軒先いっぱいに水引の様に長く横にかけた暖簾。 水引暖簾は、水引の様に軒先に丈が短く横幅目一杯に掛ける暖簾をいいます。多くの水引暖簾にも紋やロゴを染め抜きました。元々は1枚布で庇の荒壁を隠す装飾だと推測されており、それが室町後期に暖簾の形となり、商家の広告となりました。江戸時代に江戸では庇の上に暖簾を掛けており(京阪にはなかった)、これは庇の下だと屋内が暗くなってしまうのを防ぐべくしてできたためで、庇上の看板の走りだとも考えられています。現在は看板が主流で庇上の暖簾は全く見なくなりました。写真の様に日除け幕と併せて掛けることも多いです。 ...

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のれん分けの変容(明治〜大正)

明治時代に入り商法大意が発令され、株仲間制度の廃止で商売が自由となり、その考えは大きく変わりました。 これは起業の機会ともなり、大商店は他業界への参入を可能にしました。また、従業員も主家と話し合いの末、支店という名目でののれん分けも可能となりました。当時の多くの従業員は、徴兵されない場合数年を主家で働き給料を貯めて独立しました。しかし、自己資金だけでは足りないので、主家の視点というのれん名をもらい、仕入業者にも主家の口添えのもとで商売を始めました。江戸時代との大きな変化は、支店が大きく普及したことでした。...

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暖簾分けとしての「のれん」の発祥(江戸時代)

のれん分けの発祥について 商家が永年商売を続け、築き上げた信用や知名度を営業上の市場の占有率などの無形財産を、屋号を印した暖簾に例えてのれん権といいます。商家では永年忠実に勤続した従業員を選び、のれん権の一部を分け与えて独立させることをのれん分けといい、のれん分けされた店舗は別家と言いました。江戸時代にのれん分けの制度が生まれたが、その当時は主家を絶対とした封建性が徹底されていました。江戸時代にのれん分けが生まれた背景は、当時の職業は家業が代々継承されて行き、その子々孫々の世襲を守るためと、株仲間という幕府公認の同業組合の仲間内で営業を独占することを守るためであると考えられています。 のれん分けを許されたものには、その商家の家紋とその物の名前が入った暖簾が与えられ、また本家から資本を得て独立して経営者となり新たな商売を始めるものは同業の商売、本家と同じ業者・得意先との取引が禁じられ厳しい制約がりました。また、その契約は子孫の代まで続くものであり、これは大商店になればなるほど厳しくなり、中小はもう少し情味があったとのことです。つまり、非常に親の力が強く、現代に比べて強制力の強い契約でした。...

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