Shin Nakamura | 暖簾(のれん)ディレクター・プロデューサー  暖簾を通じて日本各地の手工業や工芸の新たな関係性づくりに挑戦している。 | Topics
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【店舗暖簾製作事例】土と青

調布にお店を構える、土と青さんの暖簾を製作しました。 土と青さんの素材へのこだわりや、お客さまへのおもてなしの温かさを感じさせる様な淡いぼかしを軸にした暖簾となりました。お店の空間も素晴らしく、素敵な非日常があじわえる体験へのエントランスとして暖簾もお手伝いができれば幸いです。 ...

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紋典 -家紋を納めた意匠帳-

様々な家紋を納めた意匠帳を紋典と言います。 紋典とは紋の統一の為に昭和7年に初版が発行された本です。紋の種類は5千種とも1万種以上とも膨大な数があるといわれており、その中の主だった紋が納められています。普遍的なデザインから、和を感じるデザインまで多様性のある紋は、新たに紋をデザインさせて頂く際のムードボードとして大いに活躍しています。 ...

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職人さんへの無茶ぶり

暖簾づくりには、呉服の様に規定のサイズがありません。 またデザインや使用するシチュエーションも多様でありときには職人さんへの無茶ぶりも行います。一つの事例として、アクアイグニスさんの暖簾を製作した際は、かつて前例がないほどの大きな手彫りの伊勢型紙を依頼しました。1mを越すその型紙は従来の当て場(型彫りを行う作業台)では対応ができず、特注の臨時の当て場を拵えました。結果、出来上がった型は素晴らしく、染め上がった暖簾も非常に高い完成度となりました。職人さんは最大サイズをアップデートし、大きな型にも対応ができる様になりました。ときには成長を促す無茶ぶりは良いストレスになると考えます。 ...

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職人さんの道具について

つくり手にとって、道具はものを超えた以上の存在です。 伊勢型紙の彫り師さんは、先ずは道具の手入れの仕方から学び、それが基盤となって行きます。その為、職人さんはとても大切に道具を扱い、限界まで使い込みます。この様な価値観は世界が認める誇らしい美意識であり、日本人にとって普遍的なものです。職人さんの工房へ行く度に、ものを大切にして行こうと改めて感じます。   ...

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夏らしい暖簾

暖簾は素材でも季節感が表現できます。夏らしい暖簾の素材といえば、「麻」の暖簾。生地のもつシャリ感や上品な透け感は猛暑の中で涼しさを感じさせてくれます。また、風になびいて揺らめく様にも涼感を感じます。 ...

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暖簾の素材-ベンガラ

弊社が暖簾を染める素材のひとつにベンガラがあります。 ベンガラとは土に含まれる酸化鉄で赤土を焼いて顔料を作ります。ベンガラは古くから、木造建築の外壁や神社の鳥居など日本の暮らしに根付いた素材です。その特徴は、防虫・防カビ効果に加えて日光で色の退色がないという点が挙げられます。寧ろ、日光を受けると発色が良くなります。通常は塗料として用いるベンガラですが、染料として用いることで新たな価値を生み出すことができています。 ...

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暖簾の名脇役-飾り紐

先日製作した門幕風の暖簾は飾り紐で装飾をしました。 通常の門幕は総角房を取り付けますが、よりモダンな雰囲気を演出する為、京組紐でつくった飾り紐を取り付けました。叶結びや袈裟結びなど意味合いのある結びの飾り紐には験担ぎの意味合いもあります。中むらは暖簾を触媒として日本の様々なものづくりを提供して行きます。 ...

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中むら再稼働から5年目を迎えました。

中むらが新規事業を立ち上げ、再稼働をしてから5年目に突入しました。 お世話になっている皆さま、日々様々なご助力を頂き本当にありがとうございます。お陰様で暖簾事業の立ち上げから満4年が経ちました。未熟なながら、多くの職人さん・クリエイターさん・素晴らしいお客様に支えられて着実に歩みを進めることができています。本当に感謝です。今期は更なる飛躍をするべく、事務所も移り新たな暖簾の価値づくりに取り組んでいます。これからも、より多くの日本の素晴らしい職人さんの技を提供すべく、伝え手として日々精進して行きますので今後ともよろしくお願い致します。...

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現代ののれん分け-昭和〜平成

戦前から日本では小売業界にはいまに言うチェーン店が始まっていました。 戦後にはアメリカの経営技術や組織形成が導入され、多様なチェーンへと広がっていきました。大正までののれん分けと昨今の欧米導入型のチェーンは構想や形態は異なりますが、共通していることは主家が相手のことを認めて連鎖している点や、古来は家定と誓約で別家を認めたものが契約を基盤とした営業参加になった点であり、現在の日本の小売チェーンはのれん分けが基になっていると考えられています。この一番最小のルーツが布であり、屋外広告物の暖簾であったことは非常に興味深いです。...

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のれん分けの変容-明治〜大正

江戸時代に始まった暖簾分けは、明治時代に入り商法大意が発令され、株仲間制度の廃止で商売が自由となり、その考えは大きく変わりました。 これは起業の機会ともなり、大商店は他業界への参入を可能にし、また従業員も主家と話し合いの末、支店という名目でののれん分けも可能となりました。当時の多くの従業員は、徴兵されない場合数年を主家で働き給料を貯めて独立しましたが、自己資金だけでは足りないので、主家の視点というのれん名をもらい、仕入業者にも主家の口添えのもとで商売を始めていました。これが江戸時代との大きな変化であり、支店が大きく普及した要因でした。...

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