Shin Nakamura | 暖簾(のれん)ディレクター・プロデューサー  暖簾を通じて日本各地の手工業や工芸の新たな関係性づくりに挑戦している。 | 制作
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暖簾の素材-ベンガラ

弊社が暖簾を染める素材のひとつにベンガラがあります。 ベンガラとは土に含まれる酸化鉄で赤土を焼いて顔料を作ります。ベンガラは古くから、木造建築の外壁や神社の鳥居など日本の暮らしに根付いた素材です。その特徴は、防虫・防カビ効果に加えて日光で色の退色がないという点が挙げられます。寧ろ、日光を受けると発色が良くなります。通常は塗料として用いるベンガラですが、染料として用いることで新たな価値を生み出すことができています。 ...

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染色サンプル-引き染め

空中に生地を張り、刷毛で引きながら染めることから、「引き染め」と呼ばれる技法のサンプルです。 藍染めとはまた違う紺色のグラデーションですが、藍染めにはできない色の表現や微細な調整が可能となっています。同じ紺色でも技法や素材が変わればその風合いや表現は驚くほど変わります。この様な多様性が日本の染色技術の面白いところと日々感じています。 ...

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暖簾の名脇役-飾り紐

先日製作した門幕風の暖簾は飾り紐で装飾をしました。 通常の門幕は総角房を取り付けますが、よりモダンな雰囲気を演出する為、京組紐でつくった飾り紐を取り付けました。叶結びや袈裟結びなど意味合いのある結びの飾り紐には験担ぎの意味合いもあります。中むらは暖簾を触媒として日本の様々なものづくりを提供して行きます。 ...

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藍染めサンプル

現在ご相談をいただいている案件の藍染めのサンプルです。 帆布と節のある生地に藍のグラデーションをかけました。生地によって発色は大きく変わります。帆布は厚手で染めにくいのですが成り行きのムラが美しく、もう一方の生地は染まりやすく藍の色がダイレクトに表現できます。 ...

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【暖簾製作事例】JAPANEESE THINGS空間装飾

JAPANEESE THINGSのエントラントと空間の装飾を行いました。 都市と音楽をテーマに渋谷から世界に音楽や文化を発信するTOKYO MUSIC ODYSSEYの手がけるイベント、JAPANEESE THINGSが2018年6月8〜9日に開催されました。和の雰囲気の空間にしたいとのご相談を頂き、エントランスを暖簾と門幕で装飾し、空間のディスプレイには民芸のおもちゃを主としたディスプレイを製作しました。当日には海外からの観光客の方々にも多くお越し頂き非常に盛り上がりました。 ...

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中むら再稼働から5年目を迎えました。

中むらが新規事業を立ち上げ、再稼働をしてから5年目に突入しました。 お世話になっている皆さま、日々様々なご助力を頂き本当にありがとうございます。お陰様で暖簾事業の立ち上げから満4年が経ちました。未熟なながら、多くの職人さん・クリエイターさん・素晴らしいお客様に支えられて着実に歩みを進めることができています。本当に感謝です。今期は更なる飛躍をするべく、事務所も移り新たな暖簾の価値づくりに取り組んでいます。これからも、より多くの日本の素晴らしい職人さんの技を提供すべく、伝え手として日々精進して行きますので今後ともよろしくお願い致します。...

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染色技法-手捺染-

現代のプリント技術の原型である手捺染。 江戸時代には和紙を漆で貼り合わせ、燻して強度を持たせた伊勢型紙を染め型にしていました。現代では、スクリーンと呼ばれる機械で切り抜いた型を用いることが多くなりましたが、染色は職人さんの手仕事で行われています。微妙な力加減やその日の気候に合わせた色糊づくりなど、シンプルながら熟練の技術が詰まっています。 ...

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現代ののれん分け-昭和〜平成

戦前から日本では小売業界にはいまに言うチェーン店が始まっていました。 戦後にはアメリカの経営技術や組織形成が導入され、多様なチェーンへと広がっていきました。大正までののれん分けと昨今の欧米導入型のチェーンは構想や形態は異なりますが、共通していることは主家が相手のことを認めて連鎖している点や、古来は家定と誓約で別家を認めたものが契約を基盤とした営業参加になった点であり、現在の日本の小売チェーンはのれん分けが基になっていると考えられています。この一番最小のルーツが布であり、屋外広告物の暖簾であったことは非常に興味深いです。...

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のれん分けの変容-明治〜大正

江戸時代に始まった暖簾分けは、明治時代に入り商法大意が発令され、株仲間制度の廃止で商売が自由となり、その考えは大きく変わりました。 これは起業の機会ともなり、大商店は他業界への参入を可能にし、また従業員も主家と話し合いの末、支店という名目でののれん分けも可能となりました。当時の多くの従業員は、徴兵されない場合数年を主家で働き給料を貯めて独立しましたが、自己資金だけでは足りないので、主家の視点というのれん名をもらい、仕入業者にも主家の口添えのもとで商売を始めていました。これが江戸時代との大きな変化であり、支店が大きく普及した要因でした。...

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無形財産としてののれん-のれん分けの発祥(江戸時代)

商家が永年商売を続け、築き上げた信用や知名度を営業上の市場の占有率などの無形財産を、屋号を印した暖簾に例えてのれん権といいます。 商家では永年忠実に勤続した従業員を選び、のれん権の一部を分け与えて独立させることをのれん分けといいます。のれん分けされた店舗は別家と言い、江戸時代にのれん分けの制度が生まれたが、その当時は主家を絶対とした封建性が徹底されていました。 江戸時代にのれん分けが生まれた背景は、当時の職業は家業が代々継承されて行き、その子々孫々の世襲を守るためと、株仲間という幕府公認の同業組合の仲間内で営業を独占することを守るためであると考えられています。しかし、中には株仲間の権利を買い取って新規に商売を始めるものもいました。のれん分けを許されたものには、その商家の家紋とその物の名前が入った暖簾が与えられ、また本家から資本を得て独立して経営者となり新たな商売を始めるものは同業の商売、本家と同じ業者・得意先との取引が禁じられ厳しい制約がありました。また、その契約は子孫の代まで続くものであり、これは大商店になればなるほど厳しくなり、中小はもう少し情味があったといいます。...

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