のれんと聞くと虎屋さんのことを最初に思い浮かべる方も多いと思います。
虎屋さんにとって、のれんとは、どのような存在でしょうか。
のれんは、店の有り様を示すものだと思っています。
子供の頃、「のれんって何だろう」と考えていたときに、「のれんを見れば、その店がちゃんと理解できる、それがのれんというもの」と教えられた記憶があります。
なるほど、お店を表すという意味では、六本木ミッドタウンのお店は、これまでの “ やらと” の文字が書かれたものとは違う、新しいデザインののれんをかけられています。新しいのれんには、どのような思いが込められているのですか。
虎屋は、5 0 0 年という歴史がありますが、それはもう過去の話であって、我々がこれから目指す新しい店はこうありたいという思いをのれんに託して店にかけたのです。
もちろん、のれんが変わっていいのかという話はあるかもしれませんが、自分たち自身の中にあった、“これぞ虎屋” という固定観念を取り払ってこそ、これからの虎屋がある、そういう思いにふさわしいのれんとはどのようなものだろうということで、相当なエネルギーを費やしてつくりました。軽やかな店でありたい。若い方も海外の方も誰もがすっと入ってきていただける新しい虎屋をつくりたい。そういう思いをつきつめた結果として、透け感のある軽やかなのれんができ上がりました。
まさに思いが伝わってきます。
弊社への相談でも、虎屋さんのミッドタウンのお店の写真を参考にされて、こういうのれんをつくりたいという方がたくさんいらっしゃいます。現代ののれんの象徴になっているなと感じます。
何人かの方が、そう言ってくださるのだったら嬉しい限りです。
何人どころじゃないですよ(笑)。例えば、のれんの下に、人の足もとがちらりと覗く、あのバランスは、まさにのれんの黄金比だと思っています。
間口の広い空間にかける、あまりにも大きなのれんだったので、我々にもまったく実際の姿が想像つきませんでした。ですので、大きなスタジオを借りて、紙で試作した実寸ののれんを掲げて、もう少し幅が狭い方が翻るようになるとか、丈が少し短い方が中にいる方の動きが見えて躍動感が出るのではないかとか、設計の内藤廣さんやグラフィックデザイナーの葛西薫さんと実際に眺めながら、数cmの単位で高さを上げたり下げたりしながら議論しました。
新たなのれんにすることでどのような結果になるのかわからなかったですし、結果を求めてはいなかったのですが、もしも新しいのれんがそぐわないようであれば潔く引っ込めて昔ながらのものに戻そうということを、私自身は公言もしていましたし、腹を決めていました。しかしながら、多くの方からご好評をいただき、ちらっと店を覗かれる方もいらっしゃるという話を聞き、我々の考え方に沿ったのれんだなという思いに至りました。
私自身も、今後ミッドタウン店ののれんを超えられるものをつくることがひとつの目標です!
歴史あるものを守っていくだけではなく、時には伝統を破って先へ行くことも必要だと思うのですが、虎屋さんは、時代にあわせて、お客様との関わりをどのように変化させているのでしょうか。
これは変えてはいけない、これは変えていいというのは、そんなに簡単には言えないというか、実際に私にもわかりません。今は頑なにこれをやろうと思っていたけれど、1ヶ月経ってみたらそんなに固執するほど大切なものなのだろうかと思うことがあります。その基準は、日に日にアップデートされていくものであって、だからこそ、変えることをあまり怖れることはないと思うのです。
のれんのことでお話ししたように、やっぱり相当な考察はめぐらせた上で決めているつもりではいます。
古いからこれを一所懸命に頑なに守るということではなく、守らなければいけないものというのはいつの時代も同じで、お客様がその時に心地良いな、おいしいな、と思ってくださるものをご提供できればいいのであって、それだけは大切に守っていきたいことです。
深いお話ですね。守ることと、破ることの基準は、虎屋さん自身の中にあるのではなくて、お客様という外にあるということですね。私は、普段のれんの製作に携わる中で、多くの方が、のれんの色や形や様式に縛られすぎているなと感じていて、皆さんには、のれんは庶民の間で育まれた文化で、もっとゆるいものなんですよと説明しています。
そうですね。
もともと日除けとか、実用に即したものだったのが、段々と昇華していったのかもしれないですね。
例えば、昔の通りは、埃がたくさん舞っていて、のれんで店の中まで入らないようにしていたのが、今はその意味は消えてしまったわけです。現代ではもういらない様式だねということであれば、縛られずに変えていってもそれほど大層なことではないと思います。
虎屋さんのパリ店の前を歩くと、表の通りに“ やらと” ののれんがかけられていて嬉しくなりました。
パリの店は、2 0 2 0年でオープン4 0 周年ですが、あののれんには、ちょっとした話があって、最初はパリの街の景観を損ねるので掲げてはいけないと、市から言われたのです。
しかし、たまたまパリ市内の景観を保全する委員の中で日本文化に精通されているフランス人の方がいて、「のれんとは、日本では宣伝ではない。店がオープンしている時にかけるものだ」と、文化的な価値をわかって後押ししてくださって、それで、パリの街にのれんをかけることができました。だから、今でも、パリの店では、夜、店じまいする時は、のれんを下ろしてちゃんとしまうようにしています。
すごいですね。ブランドのストーリーがきちんと受け入れられて、のれんが海外の景観の中に入っていくことが認められたという話は自信になるというか、すごい話だと感じます。海外の人にも、のれんはアイコニックな存在として知られてきましたが、その意味合いはほとんど伝わっていないと感じます。それを含めて海外の方に提案することで可能性が広がると思っています。
のれんは、日本らしさだけではなく、ワールドワイドに広がるのではないかと感じています。
パリ店での経験から、
例えば、パリでお汁粉が浸透しなかったので、現地の方たちに馴染みのあるブランマンジェにソースとしてかけて召し上がっていただくようにしたところ、そのうち「我々はこうやって食べているけれど、日本人はどうやって食べるの?」、「日本では温めて、漆の器に入れて…」という会話が生まれます。
最初は、海外の方がのれんをお使いになるのだから、本来の使い方とは違うという場面があるかもしれませんが、のれんをくぐってみた先に、じゃあ日本では本来どのように使われているのという話に帰っていくのだと思います。
まずは入口を広くして、受け入れてもらう取り組みが大切ですね。